赤い花束

墓の前だった。目を上げた先はよく晴れた空と緑の丘で、そこにNは立っていた。男がNだということと、彼が真っ赤なカーネーションの花束を持っていると私が認識したのはほぼ同時だった。Nが買う花といえば、カーネーションしかなかったからだ。彼の母は、五月の第二日曜を何よりも大切なものとしており、誕生日は忘れてもいいから母の日だけは、私に花を贈ってねと息子に頼む人だった。私とNは毎年花屋へ連れ立って彼女へカードを書き、ぴったりの日付で花の到着を手配するのが常だった。1日でも遅れては、彼女の希望が叶わないから。

あまりに空が青く抜け、生きる者の香りがしなかったので、すぐにこれは夢だとわかった。それで、Nがカーネーションを持って墓参りに来ているのは彼の母が昨年死んだためであるということも驚かずに受け止められた。流行りの肺炎が悪化して不運なことに昨年亡くなったのだという。私はその知らせを受けなかったから、それで初めて知った。不義理だとは思わなかった。Nとは離婚届を一緒に提出しにゆき、最後の食事をしてから六年間一度も、顔も見ていなければ声も聞いていないのだから。なのにNは明るく笑いかけてくれ、きみもiPhoneに替えたんだね、と私の手元に目ざとく気づいてから、丘の風景写真を撮っていた。大きなカーネーションの花束を、一緒に墓前に供えに行ける資格が私にあるはずもなく、偶然にそして茫然と、少しだけ墓のそばで穏やかな時間を過ごした。

Nの父はジャムで有名なソントン社に勤めていて、もうとっくに定年退職したはずではあるが、スーパーでジャムの陳列棚を見るだけで、一度は義父であったその人の存在が思い出されるので、ソントン社のジャムでトーストを食べることは生涯ない。「父」になるでも「母」になるでもない、いっとき脆弱に結ばれただけの男と女のまま別れてしまった寄る辺ない罪悪感がいまだに自分の中、澱として沈んでいる。

Nがまたこの場所に顔を出すこともあるだろうが、それが実際の、今の、彼ではおそらくまったくない予感が余計、孤独を深く彫り上げてしまう。目覚めてから夢の中の空の青さを噛みしめる。そんな朝もある。