ミックスキャンディ・トーキョー

中野のあの店はまだあるだろうか、と急に思った。生まれてこの方東京から出たことのない私が、再びそう遠くないエリアに引っ越してきて一年半が経つくせに、中野には滅多に行かない。用がなかったら行かないし、用が出来るような町でもない。そういう町は幾つかあって、なんでそうなっちゃったんだろうと思いながらも、それが人の思い出と町が繋がっているということなんだから仕方ない。

「好きで好きでかなわなくてもそれがどんなに辛く悲しくても、好きでいることの喜びは残るのです」と彼女は何かの著書で言っていた。著書を出して有名になるより何年か前、私たちはちょっとだけ親しくなって、中野の小さなイタリアンで昼食を一緒に取った。シチリア風の内装の、濃いブルーの壁紙だかコーヒーカップが印象深い店で、その時の彼女は今の私より5歳くらいは若く、私も今より11歳くらい若かった。彼女はとてつもなく「東京」に憧れており、「東京」の女子になりたいという爆発しそうな欲望と自意識を隠し持っていたらしいが、そういう感情を読み取るのはあの頃の私には(今の私にも、なのだが)あまりにも難しく、彼女は私の前でいたって平然を装っているように見えた。もしかしたら、彼女の「東京」へのコンプレックスをべったり感じ取るほどにこちらのセンサーが下世話でないことがかえって彼女にはよかったのかも知れなかった。デザートが終わってから彼女は、案内したいお菓子屋さんが近くにあるから行きましょう、と言ってスマートに席を立った。

一緒に行ったのは、甘い匂いに満ちたキャンディ工房で、そこでお揃いの小さな瓶詰めのフルーツミックスキャンディのアソートを買った。このお店はね、日本に上陸したばかりでね、と嬉しそうに言う彼女は帰り際「きっとあなたに似合うと思って」と言ってプラスチックの大玉パールに花びらのついたピアスを私にくれた。今もジュエリーボックスの奥にしまってある。

私と会わなくなってから、彼女はやたらと「東京」での「パーティ」に明け暮れて、SNSを開けばホテルの最上階を借り切ってシャンパンを開け、テキーラでしこたま酔って、そんな自分にも酔っているような写真と文章をアップし続けていて、表参道や銀座のハイブランドで特攻服みたいなハイヒールをたくさん買っては雑誌に載せたりしながら、常にトップギアで疾走するような日々を送っていた。そんな暮らしをしても全然満たされない自分の惨めさを売りにしていて、少しの良い友達はいるみたいだったけど、その友達はみんな彼女と同類の「シティガール・ワナビー」、もしくはもっといわゆる「ステータスの高い」、彼女の劣等感を笑顔で踏みつけにしてもそれを悪いと思うどころか、良かれと思って富裕層の生活圏に招き入れる、そういう人たちばっかりだった。

加速するあなたの生き様を見ながら、ああいつ死んでもおかしくないなと思っていて、私があなたについて書くときが来るなら、その頃あなたは死んでいるはずだと当時から思ってた。彼女から、長く生き続ける気配と意志を感じたことはなかったから、死なれたのは悲しかったけれど不思議ではなかった。そうそう、あなたが連れて行ってくれたキャンディショップは表参道にもあってね、私は最近までたびたび寄ってはあなたのことを思い出していたんだけど、表参道店も昨年閉店したんだよ。